こんにちは。蒼葉葬祭の茂木です。
最近では家族葬を選ばれる方がとても増えています。
でも、葬儀の参列を家族や親族に制限するために、その線引きを巡って戸惑いを感じてらっしゃる方もまた多いのではないでしょうか?
今回は家族葬について思う所をお話ししますね。
家族葬は誰のため?
家族葬がこれだけスタンダードになるのはいくつかの理由があります。
- 経済的に葬儀費用を節約したいため
- 地域の方々とのつながりが希薄になため
- 故人が高齢で、つながりのあった方たちの参列が難しいため
ほかにもさまざまな理由があるのでしょうが、まあ、こういったところではないでしょうか。
しかし、難しいのは、故人を「弔う権利」は誰にでもありますし、故人が「弔われる権利」もまた誰に対してもあるわけです。
お金を工面する、故人や遺骨に対して責任を持つ、そういう意味では、当然喪主は家族が務め、その喪主が葬儀のスタイルを決定するので構わないのですが、それはあくまでも「葬儀スタイルの決定の権利」であって、「弔う権利」は家族親族だろうと第三者だろうと、あるわけです。
ここが家族葬の難しいところだと、常々感じています。
家族葬が家族葬と知れるプロセス
さて、家族葬は基本的に家族(あるいは親族も含む)だけで行いますので、これに該当しない方への連絡は、事後報告になる形が多くなります。
事前に連絡する先とはしては以下が考えられますよね。
- 親族(葬儀参列の案内や、あるいは家族葬で行うことを伝えるため)
- 喪主や遺族の勤務先や学校など(忌引き休暇の申請をしなければならない)
- 近隣住民(自宅安置などで不幸が知れることがありうるために)
これら以外は、基本的にこちら側から伝えなければ訃報を知りえないわけです。
家族葬は本当に経済的なの?
少し話がそれますが、家族葬の費用について。
葬儀社の私がこれに切り込んでいくのは大変勇気のいることですが、私たち蒼葉葬祭はあくまでお客様に有益な情報をお伝えすることを信条としてますんで、思うところをそのままお話ししますね。
●家族葬は本当に経済的なの?
よく言われるのは、香典の有無です。
しかし、参列者からの香典はそのまま、返礼品やお料理などで相殺されると考えてもいいのではないでしょうか(実際にはお葬式の状況や選ばれる商品などによって左右されるので一概にそう言い切れませんが…)。
お葬式の費用は主に3つに分けられます。
- ①葬儀施行費(祭壇・棺・寝台車など)
- ②寺院などへの謝礼費
- ③おもてなし費用(返礼品・料理など)
家族葬で節約される部分は③だけです。しかし、これは先にも申した通り、多少のずれはあるものの、ほぼお香典で相殺できると計算が立ちます。
するとあとの①と②の部分は、家族葬であれ、一般葬であれ、そう変わらないわけです。親族以外の方を受け入れるのであれば式場の大小や祭壇の仕様によってグレードアップが必要かもしれませんが、家族葬だから極端に安くなる、という思い込みは一度外した方がいいですよ。
もう一つ、家族葬がここまで流行する理由があります。
業界側が家族葬のよさを謳っているからです。
なぜか?
それは、家族葬になっても葬儀社の利益は大して変わらない、ということです。
おもてなし費用とは、返礼品と料理のことですが、多くの葬儀社はアウトソーシング(外注)している部分です。返礼品は自社で仕入れるのではなく、ギフト屋さんが現場に来て配ります(そうでない場合もあります)。また料理も、葬儀社の人間がお寿司を握ったりできないですよね。仕出し料理屋さんへの外注がほとんどです。
つまり、家族葬であれ一般葬であれ、祭壇や棺などといった葬儀社が直接お客様に提供する部分は何も変わらないのです。
しかも、家族葬にすることで、そのお葬式に投入するスタッフの数は減らすことができますし、式中の案内スタッフも不要でしょう。
仕事の手間も減るので、費用対効果で考えた時に、葬儀社側としては家族葬は悪くない話なわけです。売上は減少したとしても、利益はさほど変わらないというわけです。
何のためのお葬式か?
以上のことをふまえると、家族葬と一般葬では、それを金額だけで比較するならば、お香典で相殺したとしても一般葬の方がたしかに費用が掛かるかもしれません。
でも、これらの比較の遡上に、何のためにお葬式をするのか、という価値を乗せなければならないと、私は思うんです。
何のためにお葬式をするのか。
亡くなった人と、つながりがあった人が、最後に会うことのできる場が、お葬式ですよね。
これらの費用対効果を考えた時に、私は一般葬も捨てたものじゃないと思っています。
これは商売のために言ってるんじゃないですよ。個人的な考えとして、数十年業界に携わってきたものとして、本当にそう思うんです。たった一人でも多くの方に来ていただくお葬式のすばらしさを、少しでも多くの方に知っていただきたいですね。
さて、家族葬の弔問は迷惑か
本題に戻ります。
お世話になった方の「家族葬」弔問は迷惑か?
難しいですねー(笑)
これだけいろいろ語ってきても、やっぱりこの問題は難しいですね。
何よりもまず、参列したいあなたと遺族との距離がありますよね。
というのも先に述べたように、事前に家族葬を知ることができるのは、親族、会社や学校関係、近隣住民、くらいなわけです。この方々は、故人だけでなく、むしろ遺族とのつながりもあるわけです。ですから、その遺族との距離感で、参列してもよいか、控えた方がよいか、ある程度掴めるのではないのでしょうか。
そうでないケース。何かの具合で訃報を耳にした場合。
どうしても弔問したいと思われるのであれば、まずは葬儀会館に電話して、喪主に取り次いでもらいましょう。
自分がどのような人間か、故人とどのような関係だったかなどを伝えた上で、喪主に了解を頂くのが賢明でしょう。
もちろん、喪主や遺族にしても、故人に会いたいと願う人を無下にすることの方がまれです。きちんとした順序を踏んで了解をいただければ、私は家族葬の弔問は迷惑ではないと思います。
故人の死は家族だけのものではなく、万人のもののです。そのため、「弔う権利」も家族だけに限定されることはありません。
弔問を「迷惑」で測るべきなのか
私は弔問は迷惑かどうかで考えるべきものではないと思いますので、家族葬ではなく一般葬がもっと支持される社会、弔問したい方がもっと素直に弔問できる社会が望ましいと思います。
だって、ひとりの人間が汗や涙を流して、辛いことも苦しいことも嬉しいことも本当に色々なことと向き合いながら必死に生き抜いてきた人生の最期ですよ。もっと大らかに、開かれた環境で、故人の冥福をお祈りして送って差し上げたいじゃないですか。
●弔意の表し方はさまざま
ただ、どうしても遺族が望む場合には、弔問は避けるべきでしょう。本当は最期に顔を見たいのにと願ってもそれが叶わない時もあります。
弔意の表し方は何も参列だけではありませんので、さまざまな方法でお悔やみを述べてもいいかもしれませんね。
- 〇香典(書留で送る)
- 〇弔電
- 〇供花
- 〇後日、ご自宅への弔問
以上、茂木でございました。